田宮神剣流居合とは
田宮流は約四百年前、天正戦国時代、田宮平兵衛業正を流祖として伝わった徳川紀州藩の武芸である。田宮流には古田宮、紀州田宮、新田宮の三派があったが、古田宮は五代目で絶え、紀州田宮流となった。「紀州田宮流は田宮大人の正伝となす」という伝書がある。
この紀州田宮流が、伊予(愛媛県)西条藩に伝わり「田宮神剣流」となり大成した。伊予西条藩は紀州家の分家であり、代々紀州家と世嗣を相次ぎ、終始一家のごとき親藩中の親藩で、紀州大納言頼宣の次男頼純が藩主として寛文十年二月入部以来、この紀州田宮流は西条で発達した。妻木家中興の祖・妻木只右衛門元敬は紀州藩で「不識院軍学(軍法)指南」であったが、藩主入部の際、付人として西条に移住し、その子妻木順次郎元貫が寛政九年巳八月、この紀州田宮流を宗家として継承し、代々妻木家に伝承、今日に及び、妻木達夫が代表として継承している。 (日本古武道協会 田宮流居合術より抜粋)